暗黒の全体主義社会からの脱出を描いた小ファンタジー
時は、はるか未来。なにやら大戦争か大破壊が起きたあとに建設された世界。この世界で生まれた人間は、幼い頃から集団生活を送り、徹底的に管理され、一定の年齢になると、職業を政府から割りあてられ、その職を変えることは禁止されている。この社会においては、人間が人生を自分で選ぶことなど大罪中の大罪だ。その罪を犯した人間は、中世のように火あぶりにされ、その光景を、子どもは強制的に見つめさせられる。語り手の青年は、ある日、立ち入り禁止区域の地下にはいりこみ、消えた文明の残滓を見つける。その日から、孤独で危険な探索と試みが始まるが、そのために、彼は自分の生まれた世界を脱出せざるをえなくなる・・
この短編とも中編ともつかない物語の語り手は、「わたし」ではなく、自らを「我々」と呼ぶ。なぜならば、この物語世界には、個人はいないから。すべてに集団が優先し、集団の利益のために個人が存在するのだから、「わたし」という個人の自己人称は存在しないのだ。物語は、彼が自分を「僕」と呼べるようになるまでの彷徨を、セピア色のような古風な趣のファンタジー・タッチで描いている。
テーマは、ジョージ・オーウェルの『1984』(1949)と共通する全体主義への批判と風刺だが、『1984』より早く英国で1938年に出版された。作者アイン・ランドが、名作『水源』(The Fountainhead)を執筆中に書いた小品である。『水源』とあわせて読むと、一層面白い。