貨幣と市場社会についての大胆な類型化
世の中に「貨幣論」と名の付いた本はたくさんあるが、本書は手堅い実証研究で知られる歴史家によって書かれたものだけあって、近世のマリア・テレジア銀貨から古代中国の紙幣まで世界史に関する該博な知識を駆使し、「貨幣」あるいは「信用」システムのあり方が「市場経済」のあり方をいかに規定しているか、ということを大胆な類型化で明らかにしようとしている。 本書の重要なキーワードは「貨幣の非対称性」だ。なかでも重要なのは、現地での農作物の取引に用いられ、したがって季節によって大きな重要な変動が生じる「現地通貨」と、地域間・国家間の決済に使われた「決済通貨」という二つの通貨の「非対称性」である。すなわち、もともとこの二つの通貨の間には兌換性が存在しなかったのだが、これに対しては地域によって二つの異なる対応がとられた。一つは、商人間の債務の多角的な決済でできるだけ現地通貨の仕様を省略しようとするもので、イングランドなどヨーロッパの国家の歩んだ道がこれにあたる。もう一つは、個々の商人が債務の決済関係に裏づけされない、ただの「紙切れ(「銭票」)」を地域限定の「紙幣」として流通させ、「現地通貨」の需要の変動に柔軟に対応していくという、伝統中国でみられた道であった。
前者は、国家などの債務の履行を強制する強い機関に支えられ、やがては中央銀行を中心とした一国一通貨的な国民国家のシステムへと統合されていく契機を持ったが、後者の場合、むしろ各地域ごとの現地通貨のバラバラな体系がかなり後まで残される傾向があった。つまり、地域ごとの貨幣システムの違いは、その地域の市場経済システムのあり方までも規定していた、という壮大な仮説が最後に提起されるのだ。このように、非常にコンパクトだけれど、その中に大胆な試みを秘めた野心作だといえるだろう。
私たちの常識で貨幣という謎に迫れるのか?
私たちが考える、ある貨幣が信用を得て流通する根拠とは、以下のようなものだろう。①国家や政府などの信用の裏付けがある(たとえば日本が保証する日銀券)、②その貨幣そのものに価値がある。(たとえば金貨や銀貨)しかし貨幣が流通するシステムはそれだけではないと主張するのが本書だ。貨幣は流通しているという事実、流通回路そのものがその根拠となりうるのだという。
そしてその回路が変われば、それどころか回路の中でさえ貨幣の価値は同一ではない。そんな複雑な貨幣の謎を非対称性というキーワードで読んでいく、意欲的な書である。