作者が見えない・・・。
「ミュンヘンの中学生」に見られるこの作者さんの良いところは、小説家のような卓抜な語り口と、かなり夢中だったろうに、一歩ひいて、複雑なシュタイナー思想を一冊の本に噛み砕いたわかりやすさ、客観性です。それと比べると、この本は、作者が「アントロポゾフィー」という特異な世界観の中に埋没してしまって、うまいんだけど、わかりやすいんだけど、客観性がなく、果たしてこれが一般の人々にまで通じる「モモ」の解釈の書き方として正しいのかどうか、疑問の残るところです。それを端的に表す一文が、「アントロポゾーフの修行では」。
修行!?修行って宗教なのか!?全体を通してそんな印象を読者に残す文章の書き方なのです。作者の個性が見えないばかりか、この客観性の消滅の仕方は宗教団体の成員ような書き方です。
確かに「モモ」の深みを、たましいと精神の話を引き合いに出さずに語ることは不可能です。ましてや、これは「モモ」-エンデ-シュタイナーの繋がりを解き明かしてみせる本なので、シュタイナーの世界観の提示も欠かせません。しかし、それをもっと突き放して語ることができたのではないか、というのがこの本の残念なポイントです。「あの世」「たましい」の話を頻繁に出しながら、なお宗教じみない河合隼の児童文学の本などを読むと、「モモ」でも、ひいてはシュタイナーという人全般でも、そういう書き方をする人があってもいいのになぁ、と思います。
とはいえ、これは、忙しい現代社会への警告などという、いまいちうすっぺらくて釈然としない「モモ」の解釈をくつがえしてみせた本ではあるし、シュタイナーの世界観もよくわかるので、作者のスタンスが気にならない方にはおすすめです。
宗教心が呼び起こされる本?
「この本は、ミヒャエル・エンデ著『モモ』の解説書です。」と言えばそれまでです。
ですが、この本は、「解説書」などというものではなく、一つの堂々たる著作であると、私は思います。「押しつけるつもりはありませんが、こんな読み方もできますね。シュタイナーの世界観を通して『モモ』を読むなら、こんな深い精神性が湛えられていることを知ることができますよ」と謙遜に囁きかけるような姿勢で書かれた著作です。
ですが、私には「ルドルフ・シュタイナーの思想」「シュタイナーの世界観」「アントロポゾフィー」などという書名の「専門書」にしたなら、大分難しく、読むのが厄介になりそうな内容を、世界的なベストセラー「モモ」を通して、きわめて平易に説明してくれた、類の無い本が、この著作ではないか、と思えます。
「宇宙の前にあって塵に等しい人間が宇宙の底知れない神秘に触れ、震える思いで宇宙を探ろうとする時の姿勢とは本来こんなものだったのかもしれないな。」「宗教的な修行の原初的なカタチというものは、あるいは、このようにして始まったのかもしれないな。」などと思いつつ読みました。
深読みのし過ぎでしょうか?
皆さんも、どうぞお確かめください。自分の眠っている宗教心が、あるいは、呼び起こされるかもしれません。(尚、日本に於ける「ユング心理学」の泰斗にして先達たる河合隼雄先生の魅力的な「解説」付きです。)