タイトルほどのかたさはない。
『宗教改革の真実』という一見して仰々しい表題に見えますが、
この本の主眼となっているのはエリート達がたてた大きな波をもろにかぶった民衆たちです。
16世紀~17世紀前半の社会的状況を詳述しながら、
文盲の大衆への絵による「教示」、宗派間の人間臭い「いさかい」、「肉が食べられない」こと、さらにカップル1組1組に起こった問題にも史料が許す限り物語っています。
ただ単に面白おかしく目を引きそうなものを見せるのではなく、
民衆の文化、生活、信仰をできる得る限り、その実態に近づけようとする姿勢が、
逆に変革の時代と対峙せざるを得なかった人々の、生活、心情の変化を
より生き生きと浮かび上がらせます。
小難しい言い回しも無く、肩肘張らずに歴史の面白さを、社会史の面白さを教えてくれる本です。
講談社現代新書だから安心して読める一冊
免罪符、ルター、聖書に帰れ、アウクスブルクの宗教和議…。宗教改革という言葉から私を含めて歴史学の門外漢が思いつくのはざっとこんなところではないでしょうか。本書はこうした生半可な知識を持った人をもやさしく迎え入れてくれる良書です。 宗教改革が当時の知識階層であった聖職者たちの教義論争に終始したわけではなく、多くの末端の信者たちの生活にも大きな影響を与えていったさまについて、ひとつひとつ丁寧に解き明かしていきます。活版印刷や聖職者の結婚、果てはグレゴリウス暦の導入に至る生活の様々な諸相に、キリスト信者間の峻厳な新旧対立があったことが書かれていて、興味の尽きることがありませんでした。
新旧の両信者たちが、教義の正当性を追究するというよりは、単なる「いやがらせ」のレベルで鞘当てを繰り広げているようにしか見えない点が特に興味を引きました。その実に人間くさい「いじめ・いじめられ」の展開には、苦笑することしきりです。
そしてやがてそのいやがらせも、市民生活の便宜という世俗の価値観を優先する意識が芽生える過程で解消されていったというのも、これまた大変興味深いことでした。
平易な文体で教養と知識を与えてくれる点で講談社現代新書を私は高く評価してきましたが、本書も同新書ならではと思わせるだけの内容を伴った一冊であると感じました。
社会史研究の楽しみ
マルティン・ルターの「九十五カ条論題」から始まった宗教改革。ところが、ルターが「論題」を教会扉に張り出したというのはどうやら事実として確定できないらしい。宗教改革が、当時の民衆にどのような意味を持っていたか、当時の画像や教会の使用状況を示す資料などを用いながら、平易に解き明かしてくれる。 第一章でまず社会史研究の概観と、それに基づいた著者自身の指針が示される。全編に通底する、著者の一貫した姿勢が気持ちよい。
転換期におけるキリスト教と人間
著者によれば「中世のリストラ期」である16・7世紀における、キリスト教とその信者たちの社会史である。ドイツを主とした最新の研究成果が、たっぷりと盛り込まれている。西洋近代の夜明け前におこった、ルターらによる宗教改革が、聖職者たちの思想や理念からではなく、民衆たちの右往左往を中心に解説される。基本的には、新旧(カトリックとプロテスタント)の争いや小競り合い、誹謗中傷合戦の諸相の紹介である。が、通読して私がもっとも興味をひかれたのは、「旧派がすすめる聖画像の教会への寄進を熱心に行った人々と、その後の新派による聖画像の破壊活動に加わった人たちは、実はおなじ顔ぶれではなかったのか」という説が語られるくだりである。この辺を読んでいて、思わず、「大衆」を感じてしまった。歴史学的ではない、ありきたりな感想だが。にわかサッカー・ファンが道頓堀川に飛び込む、というような。違うか