貴重な記録
これはどういうジャンルの文章なのか、いぶかりながら読んだ。紀行文ではあるのだけれど、
とてもそんなのんびりしたものじゃない。日本全国の崩れについて科学的に考察したもの
でもなく、崩れに対する備えを呼びかけるドキュメンタリーでもないのだ。
不思議な本。日本の自然現象である崩れについて注目した文学者は今までいなかったとあとがきで
川本三郎が書いている。幸田文は、あるとき訪れた新潟のある地方で起きている
大きな崩れを目撃し、まるでそとのき心のなかに種が植えられたように、以来
ずっと崩れについて書くときを無意識に待っていた。そして72歳になってどうしても
書き残したいと思い、地質学の知識を学ぶことから始め、体力の限界に不安を感じながらも
各地の崩れを見てまわった。
日本の国土のあちこちで、土地の崩壊は起きているのだが、あまり関心を集めない。
台風などで地崩れが起きるとどちらかというと人災のような印象を受ける報道が多い。
(植樹が適当でなかった、開発重視だった、など)
でも日本の地面はあちこちで最初からどうしようもない弱さを抱えているのだそうだ。
あるとき、崩れを見に行き歩き終わって夕暮れの中で今まで歩いていた方向を
振り返ったとき、崩れた崖が自分に迫ってくるようで思わず著者は「こわい」と叫んだ。
72歳、体重51キロの老女が「書かなくては」と強く思って、よろよろと崩れを見て歩く
その姿が読む者をなんともいえない気持ちにさせる。筆力という点では往年の幸田文とは
比べものにならないほど鈍っている。それなのにどうしてこんなに印象的な
本になっているのだろう。崩れに関する記録と、彼女自身の記録という、
二重の意味で貴重な文章だ。