あやめ鰈ひかがみ
本を片手に日比谷線に乗り、物語を開く。
日比谷線の情景が騒音がけだるいBGMになって重なっていく。 トーキョーの地下鉄。あの醜悪でチャーミングで、猥褻でビューテフルな変な町、
混沌としてわけのわからないメガロポリスの地下を上野、秋葉、銀座、日比谷
ところころと落ちていく。人がどやどやと降りていくので、曖昧だが六本木で
つられて降りてしまった。どこまでも落ちていく夢にはっと目覚めてしまう感覚。
アマンドにタムロするケダルイ外人を横目にヒルズのほうにぼんやりと
足を踏み出した中年オヤジ。
GWのヒルズに何の意味があるのか?ないのか?小難しいことはどうでもよかった。 松浦の本の続きが読みたかったのだから。
「あやめ鰈ひかがみ」風 松浦レトリックは読者に心地よい。
人が死ぬ前に見る“夢”
これは人が死ぬ前に見る“夢”である。「あやめ」「鰈」「ひかがみ」は独立した小説だが、同じ夢の世界の話である。三作の主人公はそれぞれ別の男だが、いずれも年の瀬が舞台となっている。クリスマスも過ぎ大晦日までの4、5日間というのは日常でも祝祭でもない妙に中途半端な時期であり、異界への扉がパックリ開いているのかもしれない。一年の終わり=人生の終わりという暗示でもあるのだろう。 死ぬ前に見る“夢”はきっと恐ろしい。日頃自分の中でごまかしてきた、無いものにしてきたことが、夢の中で追いかけてくる。自分という人間が実はどういう存在として見られていたのかという聞きたくもない話を昔の知人が教えてくれる。三作共通のモチーフや、一作の中でも同じシーケンスが悪夢のごとく繰り返される。「あやめ」だけを読んだ時は、小説の意図が判らず、自意識が変な形で欠落した主人公に共感が持てなかったのだが、夢だと解釈すれば、痛みや恐れ、逡巡のない感覚、意識、行動も理解できる。この三作の救いは、こうした悪夢、死ぬ前に見る“夢”の世界に迷い込み、別の人生もあったという後悔の念に苛まれつつも、不思議な幸福感に包まれ、希望を予感させて終わることである。ペダンティックな記述やディテールの不自然さが気になる部分もあるが、それはこの圧倒的な小説世界に比べれば瑣末なことだろう。
筒井康隆の最新作「ヘル」は本作にかなりコンセプトの近い試みの小説だと思うが、残念ながら途中で破綻してしまっている。松浦寿輝の作品を読んだのは今回が初めてだが、小説の可能性を久々に感じることができ、他の作品もぜひ読んでみたいと思った。