☆ うーーーん 評価が分かれますね ☆
かなり分かりやすい「概説書」です。現代思想の源流を探るべく、話し言葉で平明に解説してあるのは秀逸です。
説明不足の感もありましたが、この分量では致し方ないと思います。
何人かそれなりに読んだ哲学者についてはあきれることもありました。
ただこと「言葉」の使い方はいささか理解しにくい。
小阪氏は「かんがえる」と「考える」を意図的に分けていますが、その理由が触れられていないのは少し残念でした。「わたし」と「私」等も同じです。
次に「小阪流」の解釈への疑問。
R・D・レインについての言及は全くいただけません。
「反精神医学」の旗手であり「失敗した思想家」とのみ切っていますが、レインの真骨頂は「精神病者の行為は理解可能」であることに着目した点にあるのに、「日本の大学内での運動の基盤」=「『病者解放運動』」として一括りしていますが、これは理解不足。
「精神障害者」は精神が破綻し治療の対象である、との通念をひっくり返し、「精神障害者→とくに統合失調症」を社会的に受け入れること を目指したのに、この把握ではレインも無念でしょう。
確かにレインは失敗した精神医学者ですが …… その功績は小阪氏の論では一切分かりません。残念です。
むしろ私より小阪さんの方がレインには近い年代ですが、本当に残念。
サルトルをここまで持ち上げるのは不可解。
サルトルにある「抜きがたい俗物根性」を見ずに、
「行動する知識人」とのみの判断は、小阪氏の過ごした学生時代の
「サルトル解釈」雰囲気のみが伝わってきて、時代を経た者には「苦笑」せざるを得ません。
晩年のサルトルの老醜=「毛沢東主義へのすりより」は、小阪さんには「反権力的」と映るのでしょうか?
おろかしい論です。
フロイトについてもかなり言葉足らず。
フロイトは「世界そのもの(人間社会の歴史)の解釈」を試みますが、結局は失敗しました。フロイトの悲しみは「遂に世界そのものを精神分析流で解釈できなかった」ところにあるのに、なぜ小阪さん流の解釈になるのでしょうか?
「エロス」では説明できない人間の行動を説明できずに、「タナトス(事典や解説者によっては サナトス)」を晩年になってからフロイトは不意に構築しています。
「アインシュタインの宇宙項」的間違いをフロイトは犯しました。
ユング(本書ではユンク)についても、ユングの「原型」論が未消化なままであまりに簡略化しすぎ。
まあ、この点に関しては解釈が分かれているので致し方ないかな?
ニーチェについても、ニーチェ自身が「権力(力)への意志」の発行を諦めたののもかかわらず、曖昧な表現がありますね。
「編集」と言っていますけど「偽書」が正解。
少なくとも「他人が編集した」のは、「偽書」と変わりありません。
これは哲学者としては常識と思うのですが・・・
「理想社版ニーチェ全集」が発行されているような表現はいけません。
あまりの「間違い」で少し唖然。現在絶版です。
えーと 批判点をいくつかあげましたが、私がよく知らない思想家については、とても参考になる本かな?
その思想家を紹介して頂けたのは正直ありがたいです。
が、もし自分で解釈したら小阪さんとは全く違う解釈をするでしょう。
レイン・サルトル・ニーチェ・フロイト 等 知っている哲学者について解釈がここまで違うんですから …
小阪流の「哲学史」として読むのが良いかと …
