ゴータマ・ブッダはまさに「一切を知る者」だった!
ブッダは菩提樹下の成道ののち、自らを「一切を知る者(一切智者)」であると宣言しました。しかし、その所以については、これまでほとんど研究されてきませんでした。インド論理学の研究者である著者にしても、最初っから「ブッダはなぜ一切智者と自称したのか?」とゆーことに関心を持っていたわけではありません。著者がずーっとひっかかっていたのは、自分の専門するインド論理学の学派と因縁深い、龍樹(ナーガルジュナ)の『方便心論』とゆー論書でした。
わずかに漢訳のみが残され、これまでほとんど省みられてこなかった同書の読解に没頭するうち、著者は『方便心論』にブッダその人の教えから注意深く抽出された純粋な「ブッダ論理学」が織り込まれていることに気づいた。そして現代論理学・現代分析哲学の到達点と照らし合わせたとき、ブッダ論理学が恐ろしい高みにあることに気づかされ、驚愕したのです。
論理学の知識がない人は最初はちょっとだけピンと来ないかもしれないけど、でも腹のすわった文体は読者をどんどん傾聴の構えに導いていくでしょう。序論から巻末まで気が抜けません。お釈迦さまの教えがこれほどまでに崇高な論理=倫理に貫かれていたとは…。仏教徒も、そうでない人も深い感動を覚えることでしょう。
詳しくは本書に譲りますが、著者は「(初期仏典に)ブッダのことばは完全に保存されている」ことを、ブッダ論理学の根幹をなす経典の形式・文体の分析を通して明らかにしています。経典の成立順序や古層・新層をめぐる不毛な応酬を土俵ごとひっくり返しかねない目の覚めるような指摘です。本文は200ページ足らずですが、その衝撃度は恐ろしいほど。