実はオタク的ではない泉麻人
泉麻人の本を読むなんて20年ぶりかもしれない。
この人は“メジャー志向でありながら、その事に対して非常にマニアック”という、コラムニストとしてのオイシイ資質を持っている。平たく言えば“みんなが関心を持っていることにやたら詳しい”ってことである。
本書でも、その才能は遺憾なく発揮されている。ひとつ発見だったのは、泉麻人は記録とかデータにはあまりこだわっていないって点だ。レコード・セールスとかには案外無頓着で、そこら辺が実はオタク的ではない。メジャー領域を扱っていながら、常に“自分基準で語る”ってのが泉麻人なのである。この人の特質をほかに挙げるとすれば、1960年前後生まれが共通に持っているパロディ的な身振り、そして引き出しの多さだろう。誰もが知っているけど自分なりの解釈の余地があり、基本は欧米音楽のパクリ(パロディ)っていう「歌謡曲」は、泉麻人にとって実はドンピシャの素材だった。歌謡曲史に個人史を重ねる構成もいい。 歌は世に連れ的な誰もが知っている歌がなくなり、パクリ元の欧米音楽が衰退してしまった平成の音楽シーン。僕も泉麻人同様、昭和が終わる頃から、急に音楽を聴かなくなってしまった。アヴァンギャルドとキッチュの狭間で輝いてた歌謡曲を、こうして懐古的にしか楽しめないのは悲しいことではある(いつの世にもあるおやじのグチですが)。
泉麻人が作詞した早瀬優香子の「硝子のレプリカント」にも触れてほしかったな。
流行歌にまつわる私的な思い出
歌謡曲史というよりは、その曲が流行していた当時の印象的な身の回りの出来事を語った自分史。著者より少し若い世代の私には知っている曲と知らない曲が混在していたが、おおむね懐かしい曲ばかりで軽いエッセイとして楽しめた。 音楽とさまざまな思い出は、かなり密接に結びついているもので、私にも学生時代にドライブの最中によく彼がかけていた曲や、初デートの時入ったコーヒーショップで流れていた曲、祖父母の思い出と密接に関わる曲など、曲を聴いただけで、当時のシチュエーション、記憶が鮮やかに戻ってくる曲がある。十人十色の音楽にまつわる自分史があるのだろう。読後に自分自身の思い出の曲が聴きたくなってしまった。