よみがえる記憶、よみがえる思い。
いま、僕はこのフランス人作家プルーストの小説大7巻(二年越しの読書)を読み終わろうとしています。最後が見えてきたので、読み終えてしまうのがおしい。実はいま一番好きな本です。なんだか今の自分に一番訴えてくるというかすごく小説の登場人物を理解できるというか。 語り手は育ちの良い青年で、大貴族のサロン、普通の貴族のサロン、ブルジョアの社会、庶民の社会を結構自由に行き来してさまざまな人物に会い、観察をしています。感受性が鋭く、芸術に造詣があって、小説を書こうとするが身体が丈夫でないのと精神的に不安定なので書くことができない青年像です。プルーストの文体は長くて説明的で、物事はなかなか前に進んでいかないので最初にこれを読む人はかなりフラストレーションがたまり挫折してしまう可能性が大きいです。しかし、そのゆっくりとしたペースと作家の深い思考が微に入り細を穿つ様子になれてくると、始めの困惑はすばらしくゴージャスな読書の体験にへと変貌していきます。
『失われた時を求めて』というタイトルがあらわすのは、過去の記憶がいかなる行程をへて我々に蘇ってくるか、それとも永遠に失われてしまうかという少々哲学的なテーマが小説全体にあるからです。
簡単な例をあげれば、子供の時におばあさんの家でいつも紅茶にママレードを溶かして飲んでいたので、いまでも紅茶をそのようにして飲むと当時の記憶が際限なくよみがえってくる、、、紅茶の蒸気やおばあさんの洋服のたてる音や階段の下の両親の話し声、などなど細かい描写が連綿と続きます。
いろいろなバリエーションでこの過去の記憶が突然立ちかえってくる様子が描かれます。それは甘美な陶酔や苦い思い出をともなって失われてしまった時が脳裏に再現されるという仕掛けなのです。
それから、社交界でのアウトサイダーに対する同情。ユダヤ人だといって差別される古くからの友人やゲイの公爵はともに高貴な血筋と高尚な趣味の鑑識眼を持っていて、それでも芸術の面からすると劣る人々には疎外されてしまいます。このような、他者に対する思いもプルーストの文学の重要な側面でしょう。