あまりにメタミステリ的な
奥泉作品をひとことで言えば、メタミステリーチックな純文学と言えるでしょうか。
妻の妊娠と、ちょっとしたきっかけで日常からずれていく主人公・木苺の一人称を中心に描かれています。メタミステリ性は、作者が現実の虚構性を意識しているから、現実のあやうさがそれにつながっているのでしょうが、現実と同じ調子で想像の部分を書いているあたりは、意識的な“騙し”の手口といえるでしょう。
親切な作家なら1行空けたり、1文字下げたりする部分も、容赦なく続けて書いています。
『ウロボロスの偽書』や、折原一の作品群に出てくる要素もあるので、余計にメタミステリ的解決を期待してしまうのですが、本作は純文学なので、終わり方も純文学的に唐突に途切れる感じがします。
何ら真相や真理や、と言ったことは確定されません。
唯一ミステリ的にすっきり真実が提示されるとしたら、“バナール”の単語の意味が小説の“外に”提示されていることくらい。
ミステリではないと思って読めば、哲学的な思索を弄する作風は、面白いと思いました。
これってそう言えば・・・
妻の妊娠をきっかけにして起きる大学教師の逃走ならざる逃走というストーリーライン。小説で効果的に用いられるアフリカの地図という小道具。うーんこれって何かに似ているなあ・・・。そう、あまり言われていない気がするけど、大江健三郎の「個人的な体験」とよく似た設定の小説なんですよね、これ。 奥泉は漱石の小説の読み直し=書き直しで有名だけど、この小説では「現代文学」の代表作に対してそれと同じことを試みているわけですな。そうしたチャレンジ精神を持った作家って、やっぱり稀有で貴重な存在だと思います。