元函館市民が知らなかった「ハコダテ」
著者が「観光地の外れに本当の観光地があったりする」と言うのも「感覚的には」理解できるのだ。しかし函館を訪れる時、自分がそのような視点に立って常に街を見ているかと言われれば必ずしもそうではないだろう。大森海岸から見た時化の津軽海峡の厳しさ、一瞬筆者がここは東欧かと見紛うほどの、悲しみに溢れた夜の十字街、碧空とエメラルドグリーンの貯水池が生み出す笹流ダムの神秘性、どれも自分が決して気づくことのなかった「ハコダテ」であった。この次に函館に戻った時は、自分も誰もが気づかなかった宝を探して少し街を歩いてみよう。自分も辻仁成になって函館という街をもう一度しっかり見てみよう。そしてそこで見つけた宝物というのは、その感動を無理に他人に伝えようとした瞬間に消える㡊??欠けてしまう類のものなのだろうとも思う。イカ釣り漁船の漁火を見た辻がこう言っている。「この瞬間の函館の美を、誰かに伝えたくて仕方なかった。しかし、本当に美しいものは、みんなで共有するものではない。私はそっと自分の胸の中だけにしまいこみ、静かに満喫した。函館の本当の美しさがまだ誰にも知られていない喜びを実感し、このポイントがベニスのサンマルコ広場脇の岸壁のような、観光客の巣にならないことを祈るばかりであった。」(110~111頁)