映画を見なくても読める
映画を見ていないのですが、
立ち読みして冒頭を読んだら面白そうなので買いました。
小説として普通に読める感じです。面白かった。
アクションも丁寧に綴られているからでしょうか、
読んでいるとちゃんと場面が浮かびます。素人が読んで満足できるっていうのは大切な基本事項だと思うのですが、
それが守られてて。読後感スッキリです。
きっと映画も痛快なんでしょうね。機会あれば見てみたいと思いました。
別物と考えたい。誤解は危険。
この本の「ノベライズ」については、熱意はあっても記載の方向性が全く間違っているのではないかと思う。
「カンフーハッスル」という映画のサブテキストとしては使えない。映画は「武侠映画」の構造を持っているのに、ノベライズ作品では武侠的エッセンスが全て排除されている、または誤解されているからだ。ノベライズの記載から遡って、映画での描写を誤解する事になったら目も当てられない。「カンフーハッスル」は武侠世界の約束事を、観客が知っているという前提で製作されている映画だ。
「少林サッカー」において、「少林武功」の「武侠的表現」が使われていた事は、既に指摘されていたはずだ。「カンフーハッスル」での表現も、「武侠小説的イマジネーション」に因るものなのだが、「リアルファイトカンフー」に引き寄せて全ての意味を書き換えるのに何の意味があるのだろう?
ノベライズの担当者の方は映画を何度も見たとあとがきに書いておられるが、では、映画の最後に出てきた秘伝書の題名が全て既存の武侠小説に由来するものであることはご存知だろうか。知っていても敢えて実在する技名にしましたというのなら大きな御世話であり、「カンフーハッスル」の世界観が全く分かっていないことになる。「少林拳独孤九剣」は前半実在後半小説からと出鱈目だ。「独孤九剣は崋山派だろう?」「全ての武功は少林に通ず!」という「少林サッカー」でのやり取りの意味、その可笑しさが全く通じてなかったという事だ。
資料をお調べになったのだろうが、その方向が「武侠小説での考え方」ではなく「リアル功夫の修行」だったのではないだろうか。「武侠小説じゃ日本人に分からないから」というのが理由なら、とても情けなく恥ずかしい話だと思う。古今の武侠小説や中国伝奇小説、武侠片や古装片からの引用を織り交ぜながら元ネタまで分かってしまう、そんな「ノベライズ」であれば、多くの人に中華圏のみならずアジア全域で楽しまれている一大娯楽、武侠小説や伝奇小説への入門編になったであろうに。