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葉隠入門 (新潮文庫)の解説『葉隠』は、佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が、武士道における覚悟を説いた修養の書である。太平洋戦争時に戦意高揚のために利用され、それゆえ戦後は危険思想とみなされることもあったが、その世間知あふれる処世訓は、すぐれた人生論として時代を越えて読み継がれている。 葉隠入門 (新潮文庫)の商品レビュー 後半の葉隠の現代語訳が重宝する
本書の後半に葉隠の現代語訳が付いており、それが重宝する。 生の意義
三島由紀夫自身が座右の書として何度も読み返したと説明があるが、処世訓として佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が書いた武士の修養の書である。生との対比に死及び死の覚悟が語られている。主君に仕える当時の武士の生き様は生半可な姿勢では勤まらず、最後には切腹など自身を取り巻く環境は現代社会と大きく隔たりがあり、如何に厳しく真摯であったのかという思いがする。常日頃より死の存在を意識することにより、一瞬の生の意義をより一層意識し認識し生きなければならないということだと解釈する。 「葉隠」から生と死を考える
「葉隠」は若い時から三島由紀夫の座右の書であった。「仮面の告白」や「憂国」などの代表作でもしばしば死について触れているように、最後は爆発的な「純粋行動」に走り、予定調和のように死を選択し散っていった。 ニヒリストの逆立ち
「個人主義、近代主義には心理的限界がある。人間が充実した生を行き抜くには、献身する対象が必要なのだ。自分の命を捨てても守るべき価値が必要だ。でなければ動物のウゴメキと違いがなくなってしまう。「自由」こそ献身するべき究極の価値だ、と近代主義者は言う。これは倒錯した思想だ。戦争が終わり自由がもたらされた時、そこらの酒場で政治家の悪口を「自由」に喋ったり、ポルノを観る「自由」の何処に、自分の命を懸けるに値する価値があるというのか。精神の空虚を埋めるための「絶対」がなくて何の「人生」だろう。人の生を高貴なものにし、品性を高め、勇気と活力を与え、真の安定感をもたらすもの、それは自己の命以上の絶対的価値なのだ。」。しかし「そんな価値は何処にも見つからない」というのが最大の問題だろう。三島にも見つけられなかったのだ。彼が死の直前に見つけたふりをした対象にはとても命を懸ける気になれない。彼の主張は「神が無ければ、神を作らなければならない。」というドストエフスキイの言の日本版だが、「葉隠」の著者はロシアの農民の如く、もっと素朴に確信していたはずだ。三島の葉隠礼賛は「ニヒリストが苦し紛れに逆立ちしてしまった。」ようなものだと思う。「仮設」的な「絶対」などは、あまり役に立たない。「虚構の絶対」に捧げる生ほど空虚なものは無い。 「死」から覚める「生」
作者自身も述べているとおり、山本常朝の『葉隠』は作者の文学の母胎であり、作者の生き方に影響を与え、活力の源である。したがって、作者の作品論、作家論を考えるにあたり、本書を避けて通ることはできない。 本の最新売り上げランキング - トップ10
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