敗者にとって戊辰戦争とは何だったのか
大政奉還から、新政府による東北諸藩への処罰が終わるまでを、列藩同盟の側から描く。
東北が戦地となるまでに曲折があるのだが、やはりもっとも大きいのは慶喜の優柔不断ぶりである。
薩長と戦うなら戦う、帰順なら帰順と一貫していればいいものを、身内をも欺いて保身に救急としている姿が目立つ。 著者も、「幕府終末の危機に立ちながら、慶喜はそれを乗り越え収拾しようとする意欲も気力も、また能力もなかった」(p31)と切って捨てる。
「大政奉還」というのは、今日から見れば、大きな出来事だったが、その当時としては、徳川は、「むしろこの時点では、なにも失っていない」(p10)というのは意外だった。
著者は秋田出身で、子供の頃から戊辰戦争の話を聞かされ、当然、東北諸藩に同情的である。しかし、さすがに学者で、感情的ではない。
誰もが悪役として描く世良修蔵について、勝者の側までが、「戦争の全責任を世良に負わせ」「いけにえの役を世良にふりあてている」(p109)と述べている。
全国的な動乱をよそに、水戸藩は内紛に明け暮れていたこと、榎本武揚には独自の考えがあり、列藩同盟とは一線を画していたことなど、この本を読むとよくわかる。
それにしても、読んでいて心を打つのは、二本松の少年たちの悲劇と白虎隊の最期である。
慶喜がもっとしっかりしていれば、新政府軍がもう少し感情的にならずにいたら、と「たら、れば」が心に浮かぶ。
この本によれば、戦争を避ける機会は何度もあったのだ。
朝敵の汚名をきせられ、東北各地で無念の最期を遂げた人たちの心を思うと、歴史の冷酷さに慄然とする。
戊辰戦争が東北に残した負の遺産は、あまりにも大きい。