良い仕事をするということは、善く生きること
『意義のある仕事とは、カネもうけや出世、名声や権力のための仕事ではない。このような仕事は悪の所業によっても達成できる』(p156)上記の言について、勝ち組・負組みといった価値観をもって生きている人には、是非、吟味していただきたいです。さらに、
『いかに生きるかはどういう職業生活を送るかということと切り離せない』(p192)
「いかに良い仕事をするか」ということに‘だけ’に囚われている人には、上記の言に至る、またそれから展開される筋道をよく吟味してほしい。
人が良い仕事をしたいということは、善く生きるということとイコール、あるいは仕事は生きるということの一部なのである。善く生きるという観点が抜け落ちた状態では、よい仕事はありえないということを本書では教えてくれる。
労働に関する学術研究書。実践的ではない。
私の知識が足りなかったのか、非常に読みにくく、頭に入らない
本でした。どうしたら、いい仕事ができるのかというのは私の日々
考えているテーマです。プロフェッショナルで皆に認めてもらう
ような仕事を通じて、自分をレベルアップしていきたいと常に思って
います。 そのような気持ちでこの本を読んだのですが、労働に関する
これまでの著作の紹介がメインで、筆者の考えが前面には出ていない
気がしました。
学術的な文献であり、私のように実践レベルの仕事の哲学を求めて
いた人間にとっては、すこしずれがあり実用的ではありませんでした。
仕事と生活との間の均衡のとれた生活の重要性を説く
若年層のパラサイトシングル化、中高年齢層のリストラ、そして不安定雇用の増大など「働き方」が問われている昨今の日本。このなんともいえぬ悲観的な現状を読み解く上で、非常に示唆に富む文献であるように思えます。97年と出版されたのはそう最近ではないものの、いまもって読んで新鮮に感じるのは、時流にあったその場しのぎ的な主張ではなく、著者の内面にしみわたる「仕事」に対する骨太の立場があるからと読んでから確信しました。著者の立場は、「働きがい」が見出せない従業員に対して「働きがい」を迫る(あるいは提示する)ような経営学的な類のものではなく、かといって「働くこと」を物質的な豊かさを追求するための単なる「手段」として扱う経済学的なアプローチでもなく、労働と生活の均衡した状態の大切さを主張する点にあります。一番印象的だったのが、一日の中で身体の動きと精神的な動きの間の「平衡の取れた生活」をベネディクトの引用を挟みながら導き出している部分。仕事自体が自己目的化して「働きすぎ」になってしまう会社人間的な人や、あるいは逆に働くことを忌避して何の目的を持たない人々が増加している(ように思える)昨今においては、この主張は目を引くものでした。
仕事に生涯をかかげるか、あるいは自堕落な生活かという二者対立的な議論が多くなされる日本においては、著者の主張はなにか新しいことを気づかせてくれるように思えました。
日本においても欧米においても人間にとっての「働くこと」の意味がいま、あらためて問い直す必要があると感じさせてくれる文献です。