トリイの自己治療の物語として
エピローグの中でトリイはファストフードの社員として才能を開花させているシーラの現況を紹介して,しかし「シーラはこのように成功したわけだが,それでも今のこの姿は私が彼女のために選んだものとは違っているのでは,と思わざるを得ない」。と言っている。勿論「選んで」はいけないのです。でも,おそらく彼女は自分にシーラの人生を決定する権利がないこと,シーラをコントロールしようとすればそれはシーラを決して幸福にしないこと等を十分承知の上でもなお,類い稀な知能を持った子を担任した先生として,それを惜しんでいるのでしょうね。
この本は前編の「シーラという子」より,更に深い所まで行っている作品だと思います。それはやはりトリイとシーラが互いに非常に率直に対話を進めることが出来るからとも思います。率直にものを考えてそれを言葉にする力というものはかくも偉大なものか,と思わされます。
文庫本の解説を書いている斎藤学氏の文章も非常に素敵です。はっきりと「これはトリイの自己治療の記録だ」と書いている。しかも「このような奇跡をおこせるだけの関心(愛着)をトリイが持つことが出来たのは,おそらく彼女自身がかつての『被虐待児』だったからだと思う」という指摘は私たちに突き刺さるものです。人間て一体なんなんだろう・・・・。