クリスティーの新訳に触れることのできる幸せに思いを巡らせて
長年にわたって「ハヤカワ・ミステリ文庫」などで読み継がれてきたアガサ・クリスティーの作品が、「クリスティー文庫」として装いを一新、2003年10月から2004年11月までに、全100冊が刊行される。クリスティーの作品は、贅肉を削ぎ落とした、簡潔明瞭でセンスのよい文体で書かれており、元々、テンポよく、流れるように読み進めることができ、読み疲れしないのが特徴だが、新文庫化にあたり、活字が一回り以上、大きくなったことによって、一層、読みやすくなったことは、高く評価したい。
ただ、新文庫化にあたり、さまざまな点について見直しを図りながら、新訳を一部の作品にしか取り入れなかったのは、どうしてなのだろうか。おそらく、今後、数十年にわたって「クリスティー文庫」として出版し続けていくのなら、この際、全作品を新訳で出してほしかったというのが、クリスティーファンの偽らざる本音ではある。
さて、この作品は、その待望の新訳本である。三幕仕立ての殺人事件、その中でも、偶然の産物としか思えない第一幕の殺人が、ポアロを混乱させる。狡猾な犯人が仕掛けたトリックを、ポアロがどのように看破するのかが見どころの作品であるが、新旧の文庫本を読み比べてみると、ほとんど同じフレーズのない大きな違いに驚かされる。図らずも、日頃、我々が親しんでいる翻訳物は、原作を訳者を透かして読んでいるに過ぎず、訳者の感性、センスや、時には創作的能力が色濃く反映されていることとか、日本語の奥深さや表現力の多様さに思いを巡らす結果となったが、それと同時に、どちらも、クリスティー以外の何物でもなかったこと、ポアロ以外の何物でもなかったことも事実である。
考えようによっては、ミステリファンの永遠の宝ともいうべきクリスティーの作品に、さまざまな訳者のそれぞれの訳を通して触れることのできる我々日本人は、世界で最も幸せな国民といえるのかもしれない。