株式会社の病理
企業の社会的責任論が近年盛んに議論されている。私はこれ自体は別に悪いことだとは思わない。特に大企業の経営者には高いモラルを持ってもらいたい。しかしながらそれを以て問題が解決すると思ってはならない。 というのは企業の主役たる株式会社を率いる経営者は株主の利益を第一に考えなければならないからである。社会的責任と株主の利益(自社の利益)が一致していればよいが、社会的責任を果たすと、その結果株主の利益を損なうようなことがあれば、経営者は株主の利益をとる。株主が何よりも高い配当を求めている以上、株式会社は本来、そのような存在なのだ。
また、株主や消費者やNPOが企業をチェックすることは重要なことであるが、これが政府の規制に置き換わることができると思ってはならない。政府はすべての市民が平等な1票を持って選べるが、株式や所得は平等に配分されているわけではないし、非政治的権力は法的な罰を与えることができないからである。
現実の政治に嫌気がさしたからといって、民主主義そのものまでも見捨ててはいけない。本書は、企業が社会的な空間を遠慮なく浸食していく様子が生々しく描かれているが、そもそも企業に法人格を与え、取引を円滑化させているのは、他ならぬ国家権力だからである。求められているのは、形骸化した民主主義プロセスにもう一度息を吹き込み、企業に必要かつ実効性のある規制をかけることである。
企業経営へのリベラル宣言
エンロンやワールド・コムの破綻、欠陥商品や虚偽表示等の企業不祥事、情報開示や虚偽記載等による企業の商法・証取法違反、等々企業経営を震撼させる重大な事件が後を絶たない。加えて、環境問題の深刻さが増すにつれ、企業のCRS(企業の社会的責任)が脚光を浴び、SRI(社会的責任投資)が注目されるようになった。 ところが、著者は、ミルトン・フリードマンの言「経営者の唯一の社会的責任は、株主のために多額の金を儲ける事、これが道徳的な義務だ。社会や環境上の目標を利益に優先する(道徳的に振舞おうとする)経営者は、非道徳的だ。企業の社会的責任が容認されるのは、それが利益追求の方便である時のみで、偽善が収益に寄与すれば良く、道徳的善意も収益に繋がらなければ非道徳だ。」を取り、これに反論する。
ドキュメンタリー映画の原作で、フリードマン、ドラッカー、マイケル・ムーア、チョムスキー等が出演する。著者の基本的な見解は、「「企業」とは病的な機関であり、人間と社会に対して大きな影響を持つ危険な存在である。」と言うこと。法学者として、資本主義や経営学の理論や歴史に関してかなり深くフェアーに分析し、「企業」や政府・公益等について持論を展開している。
面白いのは、公共領域の民営化への反対論。「今や、企業が政府に強力な影響力を行使し、世界の支配的な機関になった。道徳性を持たないグローバルな商業主義という危険な原理主義の公共領域への浸透が、経済社会の安寧と人類の幸せを危機に追い込む。国家が、企業から公益や公衆を保護する力と役割の保持は必須。」と説き、企業規制システムの改善案を提言する。示唆に富む論述が多い好著。