過去を正当化しない元ヤンキー教師
この本の初めの部分にある印象的な著書の言葉があります。
”自分は罪人である”と。
自分の過去と真に向き合って生きる、という事はどういう事か。
それは決して自分は元ヤンキーだった、と誇らしげに語る事ではないはずです。
中には「昔は悪かった」と誇らしげに語り万引きやかつあげ、暴走族やモノを破壊したり暴力をふるった事を面白おかしく語る人達もいます。
また家庭環境のために傷つき、そのためにグレたのだ、と言う人達もいます。
そういう人達がよく使う言葉
”今は更正した”
それは彼らが傷つけてきた人達を置き去りにした言葉であって、決して過去は過去ではありません。 著者は言います。
決して家族が悪かったわけではなく、自分が一人グレていき、家族を破壊し、数え切れない程の周りの人達を傷つけてきた、と。その罪は教師になったからと言っても決して消えることはない、と。
自分と向き合い、過去を見つめる、という事を著者は知っています。
過去は決して消えない。そして傷つけてきた人達は今も存在して生きているのだ、という事を。
そんな著者が教え導く生徒達もまた、自分自身を、そして周りを傷つけて生きている子供達です。
過去から繋がる今を生きる教師は”元ヤンキー”だから特別なのではありません。今でも試行錯誤を繰り返す、一人の教師です。
ヤンキーでいるよりも、社会においてはその他大勢のようにみなされる一人の人間になって生きる厳しさを身をもって知っています。
教師として子供達と接する難しさも、著者が元ヤンキーだから解消されているわけでもありません。教師と子供の関係はどこの学校でも同じように簡単なものではありません。
それでもその道を選び、過去を背負って生きている著者に熱い気持ちにさせてくれる何かがあります。
何かに信念を持ち、その道をひたすら生きる者が持つ熱意と共通するものを、著者は持っている気がします。