この本は、インタビューに答える形でジジェクが自伝を語り、また自己の著作(『脆弱なる絶対』等)の位置づけも行うものだ。15歳頃からマルクス主義の古典を読み始め、カント・ハイデッガー・デリダを研究した後、フランスに行ってジャック・アラン・ミレーヌの下、ラカンの精神分析を学んだジジェクの自分史が語られており興味深い。
この本のポイントは、現実界である。「自然を象徴化しますが、そのためにまさしくこの象徴化において、あなたは過剰、あるいは欠如を対称的に生み出すのです。そしてそれこそが<現実界>なのです。」という記述からも、現実界は後から事後的に生成されたある種の虚構であり、最初から核として存在しているようなものではない(実体化して考えてはいけない)。他方、「<現実界>は不可能ですが、遭遇し損ねたという点からすれば単なる不可能ではないということです。さらにその遭遇は確実に起きているのですが、私たちには直面できないトラウマ的な遭遇であるという意味で不可能」なのだが、「あなたは<現実界>に遭遇できるということ、またそれは非常に受け入れ難いものだということです。」という発言からも、通常は、出会い損ねる現実界に「遭遇することもある」という点が決定的だろう。象徴的なものを通じて、現実界へ介入することもできるのだ(そうでなければ、現実界としての精神の病の治療などできないことなってしまう)。
他にも、Kant avec Sade、ニーチェの末人、死の欲動が遺伝子的な機能不全であるとも言えること、ドルーズが映画という芸術を賞賛する理由、快原則/現実原則を超えた次元にある享楽、資本は象徴的な<現実界>(=量子物理学的な科学的な現実界)と考えられる、といったテーマで論じられており、知的好奇心のある人にはたまらない内容となっている。ラカンの精神分析は、今後の現代思想にとって決定的に重要なのだ。