啓蒙的独裁君主になることを臣民から脅された天皇
この本の結論は、非常に納得のいくものでした。昭和天皇自身は、自らを『明治大帝が定めた五箇条のご誓文と明治憲法に従う立憲君主』として位置づけています。天皇自身が、当時大英帝国の立憲君主ジョージ5世を敬愛していたのは有名な話です。しかし日本の民衆は天皇に対して『英明で啓蒙的な独裁的君主』を望んでいました。そして憲法上・時代上そのどちらの存在としても昭和天皇は振舞うことが可能でした。このねじれが、様々な軋轢を生んでいきます。理論的には、アジアにおける当時の唯一の憲法に対して徹底的に自らの大権を制御し続けた昭和天皇は、見事としかいいようのない英明な君主であったと思います。しかし戦前日本のあまりに悲惨な貧困状況に対して、明らかに無力無能な政府や軍部を、憲法の命令という形で回避し、啓蒙独裁的に混乱を収拾しなかった非積極性は、糾弾されても仕方がない部分があります。まぁ最も誰が一番悪かったかと問えば、「輔弼の責任」をまっとうできなかった政治家だと思いますが。とはいえ、政治家の能力は民度に比例します。当時最高に民主的であったワイマール憲法が独裁者ヒトラーを生んだように、民主主義のシステムは独裁制との親和性がありすぎるのでしょう。ましてアングロサクソンのようにもともと植民地収奪によるストックが社会に幅広く行き渡り、民度が高く維持できる社会システムでなければ、運営しにくいのかもしれません。
こう考えてくると、戦前の狂気の時代において、憲法による命令という統治システム(天皇機関説!!)を、理解し実践していたのが、唯一自らを立憲君主として定めた昭和天皇であったことになります。同時に最も理解していなかったのは、大メディア・政治家・軍部と何よりも国民の民意でしょう。しかし、時代背景的に世界大恐慌が発生し語ることも出来な悲惨な貧困に打ちのめされている人々が、絶対権力を行使しする全体主義的啓蒙君主を期待するのは、ヒトラーという身近な大成功が例にあっただけに、無理がないことといえるでしょう。