評判は無視して、自分の感性で
好き嫌いを超えて名作であることは間違いありません。全巻読破せず、途中でやめても大きな問題はありませんが、最後までそれなりの水準を保っています。 この小説の中では、まともな人は主人公の祖母と母だけで、後の人々は主人公も含めて、卑小な名誉心や、浅はかな知恵に基づいたうぬぼれなど人間の欠点とされるものをたっぷり持った人たちが大多数を占めています。
そういう意味では、途中で辟易することもあるのですが、主人公もまた卑小な人間であることがこの小説の醍醐味でもあります。浅はかな心の動きを実に丁寧にプルーストは表現しており、人の心理を知る上でも重要な作品です。
主人公の目を通すと、イマイチな(結局は浅はかな)人のように書かれてしまっていますが、スワン夫人の娘のジルベルトは、この小説の登場人物の中ではセンスがよく感じられます。
難行苦行を超えて得られるものは・・・
星三つはかなり変わった評価でしょう。 まず最初に、わたくしは「紅茶に浸したマドレーヌ」を想像すると、「べちゃべちゃしていて気持ち悪そうだなぁ」という感性の持ち主なので評価は割り引いてご判断下さい。
石原千秋流にこの小説を要約すると、「ニートが小説家になれたことを証明する物語」ということになるでしょうか。主人公は働きもせず、口だけ小説家になるなると言っては、音楽や文芸、美術に対する鑑識眼をサロンで競い、漁色に走るという、現代の眼から見れば実に鼻持ちならない没落貴族です。要するに、小説を完成させる前の主人公は、働きもせず、かといって自己教育もせず、先祖伝来の田畑に徒食して生き、自意識ばかり過剰な、まさにニートなのです。この主人公に共感しつつ読むことはかなりな努力を必要とします。また、文体は説明的で、訳者はかなり日本語になるように句読点を補ったということですが、だらだら長く平板です。これは原文がそういうスタイルなのでしょう。
ようやく最後の章になって、どうしてこれほど筆者が長い物語を必要としたのかが明かされます。つまり、最終章までがんばって読まない限り、この小説はまったく意味がないと思われます。
この小説はフランス語圏に限らず、ひとつの教養となっていますので、一度読んでおくと、他の作家の作品を読むときに「シャルリュス? ああ、このひとゲイなのね」というふうに理解が深まるので、一読をお勧めはしますが、この長大というより冗長な作品を二度読む機会はたぶんもう訪れないような気がします。
ひょっとしたら抄訳がお勧めなのかもしれません。