子孫に語り継げ
著者は「戦争を語り伝えると言うことは体験の範囲をえてでも
なされなくてはならないのだ」と決意する。この思いこそが著者をして「現代民話考」シリーズ
をまとめさせたのだと思う。
著者は「戦争を民話にしてもよいのか」と自問する。
だがやはりそれらが「人の口によって語り継がれること」「語り継ぐべきこと」
である限りにおいて民話でありつづけるのだろう。
民話はいいかえれば「共同体が共有すべき個人の物語」なのかもしれない。
それにしても先の戦争の悲惨さ、旧軍隊の理不尽さ・非人間性は
想像を絶する。その中にわずかでも人間的魅力あふれる人や心優しい人が
いたという事実だけに救われる思いがする。
後世に語り継ぐべきもの---それが「民話」
著者自身、戦争を「民話」と呼んでいいかと自問されていたこともあるそうです。確かに私もそう思った瞬間がありました。しかも、それがいきなり第2巻として登場します。しかし、人口に膾炙し、時には誇張され脚色されながらも、確かに実在したものとしての「話」が民話なのでしょう。しかも、それが多くの人々に共有され、また、ひとつの経験として経験されたのであれば、それは紛れもなく民話なのです。
フランクルの「夜と霧」も、その意味では民話なのかもしれません。語り継ぐべきものを背負ったもの、それが民話だと思います。
この本は、松谷版「夜と霧」ともいえるでしょう。
これを後世に語り継ぐことが、我々の大きな責務のように感じられます。