主人公の猫が死んじゃって、どうなるの?
『トマシーナ』それは、この本の主人公(?)の猫の名前。
この猫が「語り手」となって物語が進んでいくのが、なんとも面白い。
しかし、この猫、あろうことか、途中であっさりと死んでしまう。
そして突然、別の猫が「語り手」となって物語が続いていくのだが...正直言って私は、この主人公の猫ちゃんが死ぬ場面までは、
『あ~ 退屈な本』と思った。
しかし、猫の死後あたりから、グイグイと物語に引き込まれていく。
読者は、まんまと、原作者ギャリコの手法にのせられてしまうだろう。
ちょっと『かったるい言いまわし』や『クドクドと続く表現』が
知らず知らずのうちに、快感にさえ変わっていく。
そして、読み終わった後は、『あ~ いい話だった』と、快い気分に
ひたれる事になるだろう。
医者になる夢を絶たれ、妻を亡くした獣医マクデューイは
神をも信じられず、動物への愛情も持てない。
そのひとり娘のメアリー・ルーは、母を亡くした寂しさから
飼い猫のトマシーナを何よりも可愛がっていた。
が、父は愛猫を安楽死させてしまう。 愛猫を殺されたことで
心を閉ざしてしまう娘は、気の病で次第に衰弱していく...
この状況を、救ってくれるものは誰か?
そして物語は、父と娘と、その取り巻きの人々の心の動きを
細やかに綴りながら、ハッピーエンドへと向かっていく。
ポール・ギャリコの傑作である。
(猫好きの方には、猫の気持やしぐさの描写が、たまらなく愉快だろう)
スコットランドを舞台にした、愛の奇跡の物語
久しぶりに再読して、今まで抱いていた作品の印象が変わりました。これまでは、トマシーナという猫が魅力的に描かれた物語と、そのイメージが強くありました。そういう側面もあるのですが、本書の核となるテーマはもっと別のところにあるんじゃないか、これは心に傷を負った男と、彼がこの世で何よりも愛する娘が、愛の奇跡によって救われる物語なんじゃないか、そう思ったんですね。マクデューイ氏という動物嫌いの獣医が、娘の愛を失って苦悩する姿、彼がひとりの女性と出会うことで人間としての温かさを取り戻していく姿、そんな彼の姿が切迫した調子で描き出されていたところ、そこに本書の一番の読みごたえを感じたのです。愛するトマシーナが父親の手によって殺された時、「トマシーナァァァァァ!」と絶叫するメアリ・ルー。それ以後、父親を心の中で抹殺したメアリ・ルー。彼女が深く傷つき、この世の中の出来事から心を閉ざすようになっていく姿は、見ていてどうにも痛ましく、やり切れない気持ちにさせられました。
親友のアンドリュー・マクデューイを救おうと、彼の心にそれとなく働きかけていくアンガス・ペディ牧師。《赤毛の魔女》《変人ローリ》と呼ばれる女性とともに、彼の存在が大きかったこと、その人となりが魅力的だったのも心に残ります。
山田蘭さんの訳文、なかなか見事だと思いました。特に、トマシーナが語る章での生き生きとした調子の文章と人称代名詞の用い方に、訳者のセンスの良さ、細やかな気遣いを感じました。
原題は、Thomasina 1957年の作品。
猫の名前がついた物語では、同じ著者の『ジェニィ』(新潮文庫 ※私が読んだのは、矢川澄子訳の『さすらいのジェニー』大和書房)とともに、深く心に残る、忘れがたい名作です。