サイモン・クラークの続編が出るおもしろさ
約40年前に読破した時の感激が今でも生々しく、サイモン・クラークの続編(The Night of the Triffids、未訳)を購入する前に再読した。 まず、当時の道徳観が強く胸に迫る。自分の生存が最優先されるパニック小説において、最も読者に共感を抱かせるのは、主人公の人生観・死生観であり、他者との距離のとりようであろう。イギリスという島国には、不思議と日本人に通じるものがあり、今読んでも、置かれた状況に対する主人公の行動に無理がない。この自然さが心地よく、つい、主人公になった気分で、小説世界に没入することが出来るのだ。
大事なヒロインもまた、魅力的である。また、悪役の1つのトリフィドも不思議な植物で、盲目の世界を想定した際、なくてはならぬ神の使いと思える。
さて、冒頭に述べたサイモン・クラークが、トリフィドの神の使いとしての二面性をいみじくもとらえ、ウィンダム作品の登場人物を多数蘇らせ、すばらしい続編に仕上げている。
映画「THE DAY OF THE TRIFFIDS」の原作。
邦題は「人類SOS!」。センスなさすぎ。映画では、ゴムの被り物のようなトリフィドがたくさん押し寄せてくるが、残念ながら余り怖くない。
「当時最先端の技術を駆使」して作られた映画は、後世の厳しい目には耐えられない、というか。
しかもこの木の化物は、海水が苦手で、地球を征服するかと思われたトリフィドも、終幕15分ほどで退治されてしまう。
音のある方に引き寄せられるトリフィドを、宣伝カーで誘導して崖から海へ落とすくだりは、ハメルンの笛吹きをモチーフにしたのだろう。
耳も側線も鼓膜がないのに音を感じる、ということは振動を感じている、ということで、だったら音以外に動きにも反応しちゃうんじゃないか、などと無粋なことを言ってはいけない。
小説の方は、もっと背景がしっかり描かれていて、大人向きです。念のため。
SFの古典として
残念ながら、このページには、作品の概要等の紹介が一切ないので、まずはこの作品のさわりの部分だけ紹介させて貰おうと思う。 ある夜、地球が大流星群の中を通過し、誰もがこの世界の景観を見上げたが、翌朝、その流星を見た者は全員が視力を失ってしまう。全世界が混乱に覆われる中、植物油採取のために栽培されていたトリフィドという三本足の動く植物が野放しとなり、盲目の人類を襲い始めた。人類の生き残る道は、流星を見ず、視力を失わなかった僅かの人々に託されることになったが...。
以上が本書の扉の所にも載っている作品の概要である。この作品が書かれたのは1951年で、折りしも冷戦への移行期であり、大戦の残響も相俟って、こうした人類滅亡の危機というテーマはそれなりの説得力を持っていたのだろう。事実、そうした暗い未来への警鐘とも言うべきモチーフが、物語の発端として想定されてもいることがやがて明らかになる。
私は、小学生だった冷戦華やかなりし(?)80年代に、子供向けのジュブナイル版で初めてこの作品を読んだのだが、コナン・ドイルの『ロスト・ワールド』のような有名な作品よりも、こちらの方に夢中になったのは、子供心にも、当時の、何か、そうした不穏なものを感じ取っていたのかもしれない。
確かに、21世紀の現在から見れば、科学的裏付けという点に於いて、古いものを感じざるを得ない面はある。しかし、99年に復刊されたのを機に、もう一度読んでみたがとても面白いと感じることが出来た。前述したような個人的思い入れも多分にありはするが、その当時の時代をも映した、SFの古典として推薦したいと思う。