子は父を育てることがある
本書はサラリーマンの著者が、父親になって初めて息子と面と向き合って対話することで、自分の“父性”に目覚める自己発見の物語です。
仕事に追われるお父さんはもちろん、「俺はきちんと遊んでやってるぞ」というお父さんにも“真の父親とは何か”を考えるきっかけになる本です。 著者はリクルート社で新規事業を担当していました。38歳でロンドン大学ビジネス・スクール客員研究員になり、妻と4歳の息子を伴ってロンドンに着任した著者は、2番目の子どもを出産間近の妻に代わって子どもの学校に関わります。それまではただ遊んであげる対象だった息子と対話を繰り返すうちに、初めて幼児の世界を理解するきっかけを得ました。
自分は本当の「父」ではなかった。父を演じていただけだった、という著者のことばは衝撃的です。ここだけ読むと、まるで子育てを放棄していたお父さんが言ったように聞こえますが、著者は子ども好きで育児も“よくやるほうのお父さん”でした。
そんな著者が慣れない異国の地で仕事に格闘しながら、学校になじめない息子と向かい合うことを余儀なくされます。
あるとき、食べるのが遅い息子から「どうして、食べるのがそんなに早いの?」と言われたことが心に残り、折り重なるようにして著者の中で渦巻きました。
著者は気付きます。「私は呪縛されていたのだ。受験によって。時代によって。社会によって。会社によって。そして何より、仕事そのものによって。“早く、ちゃんと、いい子に”三拍子そろった標準的なサラリーマンとして」
しばらくして著者は、息子をこの呪縛から逃がしてやりたいと強く思うようになりました。息子を呪縛から逃がそうとするとき、同時に自分自身も同じ呪縛から解放される、という実感をした著者は、次の言葉で本書を締めくくりす。
「子は父を育てることがある」
真摯な態度で向き合うことの大切さ。
父親である喜びはあったが、父ではなかった。
父であること。”父には何が出来るのか”という問いかけは、誰も教えてく
れない大きな謎だ。
それまではただ遊んあげる対象だった。私は子どもというおもちゃを前に父
親を演じていただけで、一児の父ではなく、一児のサラリーマンだっただけ
かもしれない。私は呪縛されていたのだ。受験によって。時代によって。社会によって。会
社によって。そして何より、仕事そのものによって。
”早く、ちゃんと、いい子に”
三拍子そろった標準的なサラリーマンとして。
だからこそ私にとっての父性とは、まず"自分がどんな呪縛を受けてきたか”に気づいた上で、子どもをそれから逃がしてやること”ではないかと思えた
のだ。
もしかしたら私より大人じゃあないだろうか。そもそも大人って何だろう。
本当に大人の方が子どもより、よく分かっているのだろうか。
私は、自分の配慮の無さにがく然とした。目の前の現象をみて、自分の経験
や知っている状況だけからさまざまなことを判断している自分が、一瞬怖く
なって青ざめた。
個性をつぶすのも大人の一言。伸ばすのも大人の一言だ。
子どもに対して真摯な態度で向き合うことの大切さを学んだ一冊です。