心理学という表題に内容がついてきているかは疑問
著者は奈良女子大の心理学の教授。「広島港フェリー甲板長殺し事件」「帝銀事件」「野田事件」等を取り上げ、犯人たちが取調室でどのように(やってもいないと思われる事件の)自白に追い込まれたのか、残された資料に基づいて出来うる限り迫った書です。 それぞれの事件が冤罪であると思わせるに足る検証が綴られていてなかなか読ませますが、取り上げられている事例が特殊で、私もいつなんどき冤罪の犠牲者になるかもしれないという恐怖心を抱くには至りませんでした。
その理由の一つは登場人物たちの多くに前科があった点。例えば「帝銀事件」の平沢死刑囚には宝石を巡る詐欺事件で逮捕歴があります。「広島港フェリー甲板長殺し事件」の容疑者は被害者の預金通帳から無断で現金を引き出しています。もちろん詐欺事件や窃盗事件が殺人事件の犯人である証拠にはなりませんが、この人物たちがひょっとしたらやっていたかもしれないという先入見を世間や警察当局に抱かせるには十分だった点は否めません。
また一つには、彼らがいとも簡単に自白しているように見える点です。著者自身が「最後まで読んでいただいた読者のなかには、ひょっとしてもう少し科学の体裁をもった理論の展開を期待されていた方もいらっしゃるかもしれません」(204頁)と書いてしまうほど、本書は「取調室で誰しもが陥る自白への心理的道程」を科学的に分析している印象を与えません。日本人は理路整然とした議論の訓練をする習慣が欧米人に比べると一般的に希薄ですが、その点を割り引いても本書の容疑者たちは(「野田事件」の知的障害者は別としても)警察・検察との論戦に臨む力量は平均的日本人以下です。
取り上げる事例が、つつましやかに日々を過ごす世間一般の人々からは乖離していたために、冤罪が読者からは少々縁遠いものに見える結果になったのではないでしょうか。