いささか食い足りないか
様々な意味で注目に値する社会学者宮台真司と、彼の門下生たち
によるコラボレーション。といっても、ひとつの事象を共同で
研究するのではなく、各論考はそれぞれ独立しており、脈絡はない。
各論者がとりあげる研究素材も、ジャニーズ・フリークスたちの
人間関係から韓国におけるマンガ事情と、ある意味では面妖に思えるほど雑多である。が、それは研究結果の信頼性を左右する
ものではないだろう。かつて宮台氏はブルセラやテレクラを研究
対象として、瞠目すべき考察をなしえた。本書は、その衣鉢を継ぐ
弟子たちによる研究の初舞台、といったところであろうか。
だが、宮台氏を除く執筆者全員が「実績も未知数」なことを
踏まえてもなお、論述が甘い、という印象を持たざるを得ない。
あるいは素材が奇抜であるがゆえ、結論の凡庸さに食い足りなさ
をおぼえたのかもしれない。はいそうですねえ、としか感じられ
ないのである。もちろん全てが全てではなく、たとえば写真週刊誌
の投稿をデータにして、本来なら結果的につくられる「想い出」を
目的としてつくろうとする若者たちの情緒に迫った『想い出をつくる
若者たち』、先行した著作が既に発表済みである『その先のインター
ネット社会』は傾聴に値する優れた論考である。
終章に於いて宮台はこう述べている。社会学徒が、私たちを全体性に
近づける「真理の言葉」を追求することで、むしろ私たちを全体性から
遠ざけているのではないか。だとすれば、いま追求すべきなのは
普遍性を持った抽象的言説ではなく、実効性を前提とした個別具体的な
「機能の言葉」であるはずだ、と。逆説的だが、全体性とは一見背馳する
こうした言葉こそを、全体性はいま求めている。その言葉を、社会学は
導出しえるのだろうか。本書の副題である「社会学の挑戦」の挑戦とは
そういう意味なのであろう。