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『性の歴史』の第1巻「知への意志」の刊行が1976年、 それから、第2巻「快楽の活用」、第3巻「自己への配慮」の刊行は 1984年まで待たれねばならず、この長い沈黙はこれまでフーコーの思想の 行き詰まりや転向を意味するものと捉えられる傾向があった。 ところが、最近になって、フーコーのコレージュ・ド・フランスの講義録が 相次いで刊行されるに至り、フーコーがこの時期にまったく沈黙していたわけでも、 思想の行き詰まりを見せていたわけでもないことが解明されつつある。 本書はそのうちの、特に1970年後半期のフーコーの思想に焦点をあて、読み解き、 現代の文脈に生き返らせることを企図して編まれた先駆的な論集である。 本書で特に重要なのは、高桑や箱田、酒井がくりかえし言及する 「コンデュイット」、「コントル=コンデュイット」という概念だろう。 法による支配から、社会全体による監視へと変質した権力が、やがて個人を その内面から支配し組織していく。生権力の本質をつくキー概念である。 フーコーはこの時期、こうしたキー概念を巧みに創出し、権力の変容を 本質的に探る努力を続けていたのだ。 とても小さな本だが、従来の「規律=訓練」のフーコーから、 「生権力、統治」のフーコーへと思想的な位置づけを描き換える、 真に挑戦的な試みである。
権力は誰かに所有されるのではなく遍在にしており、上から下に向かって一方的に 加えられるのではなく諸々の関係性において作動していること、これが『監獄の誕 生』までで示されたフーコーさんの成果でした。しかしその思想が広く流布する中 で、常に何か恐ろしいものに支配されているように捉えられたり、抵抗や政治の契 機は存在しないのかといった批判も行われてきたように思います。 一方、この『フーコーの後で』というテーマについて多くの著者が念頭に置いてい るのは、統治性や主体化といった概念を置くことではじめて、フーコーさんは主体 化の1つのあり方としての統治への抵抗を見出し、権力が貫通し、作動することは 同時に、抵抗や政治の契機でもあると捉えていたことです。本書で示されるのは、 主権、法、制度といった概念から脱却し、政治、抵抗、闘争といった方向へと開か れた、アクチュアルなフーコーさんの思想です。 ただ、編者の1人の芹沢氏の論考には納得がいきません。これまでの著作と内容が 変わらないことはむろん、それは果たしてフーコーさんを経由する必要があるので しょうか。フーコーさんが距離を置いた主権、法、制度といったモデルに回帰し、 新たな支配/被支配の抑圧モデルを描き出してしまうことは、フーコーさんへの背 信とは言わないまでも、「後で」というテーマに則したものとは決して言えないで しょう。 しかし、筑摩書房からフーコーさんの著作や講義録が刊行される中、他に先駆けて 多くの論文がフーコーさんの思想や方法から新たな概念を組み立て、改めてフー コーさんへの扉を開いた点で、本書が極めて重要な位置を占めることは間違いない でしょう。