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『リボンの騎士』と『ベルサイユのバラ』という二大作品を中心に男装するヒロインの少女マンガにおけるキャラクター、ストーリー、表象のみならず、その当時の雑誌への読者投稿なども読み解きながらヒロインを男装させるマンガにおいてのジェンダー表象の意味とその意味の変遷を追う。 『リボンの騎士』におけるサファイアや「ベルばら」以前の男装ヒロインの少女マンガのヒロインは主体性を獲得し、男顔負けに活躍するのだが最終的には既存のジェンダーカテゴリー(女らしさ、客体)に回収されてしまい、むしろ女性による「性別越境」の限界を露呈してしまうことになる。 それに対して『ベルサイユのばら』においてオスカルは、ストーリーの上で「性別越境」を繰り返しながら、男/女という既存のジェンダーカテゴリーを解体し、内面性において両者をあわせもつ一人の「人間」として自己確立する。しかしその獲得した自己像は守られなければならないため、オスカルの死という結末によって永久保存されたのである。 男装ヒロインの少女マンガは女性の「悲劇性」を象徴しているのかもしれない。 ここでいう悲劇性とは、ストーリー世界において性別越境を夢見ながら、最終的にはそれに挫折してしまうか、死んでしまうサファイアやオスカルのもつ悲劇性であるのと同時に、それらのキャラクターのとげる華麗なる「性別越境」を称揚し憧れる読者の少女、やがては結婚や出産によって既存のジェンダーカテゴリーに回収されるであろう少女たちの犠牲との引き換えにおいて、はじめて男装ヒロインを描く少女マンガが確固としたジャンルとなりえたということの、少女マンガというメディアの構造自体が内包する悲劇性だ。 さらにいえば、性別越境に対しての「あこがれ」と「あきらめ」の両輪が女性性というものを規定しているのかもしれない。みもふたもない話だが。内容は、綿密でとにかく読み応えがある。