あまりにも多くの無益な時間と労力が「自己実現」や「抑圧」の名の下に費やされてきた
行動分析学は、(数多くの自然科学的な実験によって確かめられる)科学的基礎を持った唯一の心理学である、とこの本は主張する。別の言い方をすれば、それは「心理」学ではない。むしろ積極的に「心理」的な見方=偏見と戦っている。 あまりにも多くの無益な時間と労力が「自己実現」や「抑圧」の名の下に費やされてきた。行動の問題は、いつも「心」の問題として片づけられてしまうのである。しかしその子があばれるのは、あばれるという行動が人々の注目を引き起こしているからではないか。非難がましいものであったとしても、人々の「注目」は行動を強化する「アメ」にあたるものかもしれない。あばれるその子は、注目を得られることで、あばれるという行動が強化されるのである。
行動分析学は、行動を問題とする。ある行動が反復されるのは、その行動の効果(結果)に原因があると考える。「心」「無意識」といった不必要で混乱を招く余計な概念を分析に挿入したりしない。自分たちででっちあげた「心理的問題」の解決にやっきになったりしない。
加えてもっとよいことがある。行動分析学は、普通「心」がない(あるいは未発達)と考えられる動物や赤ん坊にも適用可能である。話もできない相手にも行動分析学は適用可能である。ニワトリにピストルを打たせたり、ミルクを吐き出す赤ちゃんをレモン汁で行動修正したり、自閉症と呼ばれる人が言葉を使えるようにし、分裂症と診断された人を問題行動が少なくなるようにする。
行動分析家は人を分類してラベルをつけたりしない。依存症というラベルをつけることは、行動(依存)の原因をその人の精神や遺伝的な要因に求めることになるからだ。結局は犠牲者である「依存患者」を責めるだけで終ってしまう。誰かを「精神的に弱い」「自覚しろ」「反省しろ」とは、メンタリズムに捕らわれてきた人たちの常套句だ。それは何もよいことを生み出しはしなかった。