『読み込む力』ということ
この本でやっと、小熊英二の仕事のし方もある程度分かってきた。
彼の力は『読み込む力』なのである。村上龍との対談を準備するためにまずは20冊読んでみたらしい。その上で対談する気が出て初めて臨んでいる。いざ対談が始まると、最初は村上から対談依頼があったにもかかわらず、内容はすっかり村上龍の小説の分析という形になってしまった。村上も相当突っ込んだ質問にきちんと応えている。それはすなわち小熊の読みこみが深いからに他ならない。小熊は村上から『小説家になりたいと思ったことはなかったのですか』と聞かれる。『(世界を揺るがすような言葉を)私は創れないから歴史的な資料から力のある言葉を探して書くしかないんだと思います。」 その気持ちよく分かる。けれども才能がいることも分かる。
サラリーマンの小生として
初めに断っておくが 小生はごく普通の会社員であり 通勤電車で日経を読みつつ どうやって仕事をやろうかと考えている生活を送っている。従い 例えば網野善彦さんとの対談に出てくる各種人名については チンプンカンプンである。読者としては 全く資格を欠いているとしか言いようがない。それでも 小熊さんの作品が出ると 割りと買っているから不思議である。そうして 間違いなく めちゃくちゃな読み方をしているはずである。 例えばインド日記を読んだ際には 何より 小熊さんの強烈な「好奇心」に痺れた。日経通勤の小生としては 「これは新入社員の読本にすべきだ」という 誰も期待していないような感想を持つに至った。
単一民族神話の起源を読んでいると 会社においても正社員、契約社員、アルバイトという「多民族」(これは取りも直さず待遇と権限の問題である)と会社として纏まるべきという「単一民族」(会社のidendity)の問題のせめぎあいと読んでしまう。 きちんとした「資格を持った読者」の方から見るとめちゃくちゃですよね。
但し ここで言いたいのは そういう読み方が出来るという本であるという点の凄みであり 著者の「自由無碍」な精神が 小生をして 読ませるという点が重要なのではあるまいか? というのが 小生の確信犯である。
この対談集も その意味で色んな読み方が出来ます。そうして 小生含め 多くの人が「読める」という気がしている。多くの人に読んで貰うということは 基本的かつ短絡的に 良いことだとは思う次第。