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僕が高校、大学を過ごした1970年代末から80年代初頭、すでに“ジャズの時代”は過ぎ去っていた。しかし、時代に遅れてきた者の常で、なぜ終焉を迎えたかの反問抜きに、憧憬だけから“ジャズの時代”の残滓を追い求めていた時期がある。ジャズ喫茶にもよく足を運んだ。 “その時代”を一足遅れで体験出来なかった者は、無批判にその時代を羨望するか、逆に大いなる反発を覚える。そして、その時代の体験者は、特権的な振る舞いを見せるか、触れられたくない過去として封印してしまうのだ。 本書は、そんな幻想の“ジャズ文化”、“ジャズの時代”を相対化する試みである。もちろんその意義を認めながらも、相倉久人や平岡正明の言説のマッチョ性や、ジャズ喫茶の教条主義を、きっちり批判している点を評価したい。「もう昔のことだからいいじゃん。そういう時代だったんだから」で思考停止するのではなく、「そういう時代ではあったけど、やっぱりおかしかった」「そういう時代だったからこそ、意味があった」という踏み込んだ考察がなされている。 本書が、すべてを時代に還元してしまうようなジャズ文化論になっていないのはなぜか?それは著者のジャズ観に因るのだと思う。一回こっきりのライブ、生(ナマ)であることこそが著者にとってのジャズ、ジャズ精神なのである。そこには時代も、人種も、性差もない。「ジャズは死んだ」といった言葉で、ジャズを博物館送りにすることこそが反ジャズ的である、とする著者だからこそ、本書は新鮮に戦後日本のジャズ文化を解読し、成功しているのである。