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疑似科学と科学の哲学の商品レビュー 「程度」問題への適切な判定
お奨めポイントがありすぎて、どこから手をつけて良いものやら困惑中。 すばらしいね
科学者がいわゆる疑似科学を批判するとき、はじめからそれがエセであると決め付けて嘲笑するケースが多く、公平さを欠いていると感じることが多い。だが、科学哲学者たる著者はそうした態度を決してとらず、時には非常に遠回りをしながら、科学と擬似科学を分けるものを徹底的に問い詰めていく。題材として、創造科学(聖書記述を事実とし進化論を否定する立場)、占星術、超能力、代替医療などを取り上げているが、著者は飛躍的なきめ付けを一切行っておらず、極めて丁寧にそれらを仔細検討している(「この議論のまますすむと、もしかしたら疑似科学も科学の範疇なのか?」と読者をしばしドキドキ(ワクワク?)させるようなところさえある)。著者の態度には、疑似科学への闇雲な批判者が見習うべき誠実さがある(文は時々おちゃらけているがご愛嬌)。 これは、巧妙な政治的著書である。
科学を難しくしようとするとそれは「無限」に難しいだろう。戸田山を読み、高橋昌一郎を理解した上で、高橋本を批判する者の言い分によってこの本を購読したのだが、笑ってしまった。これだけのページボリュームがありながら、「論理学の初歩的説明をすることが、荷が重い」と著者が言うのだが、科学として認めるかどうかの最低ラインは、論理矛盾があるのかどうかである。進化論と反進化論の対立構造を、科学と非科学にすり替えて説明していくのが、この本の根幹なのであるが、進化論の論理学的厳密性などには全く触れない。そういう意味で科学書と言うよりも、政治的プロパガンダと呼んで好い。この手法は昔よくユダヤ系共産主義者が使った手法で、レトリックのすり替え法、と呼ばれる非常に洗脳には有効でしかも強力だ。 理屈っぽい恋人対策に
「血液型性格診断」のような話が大好きなあなたが、 疑似科学と科学の違いが際立ったか?
「科学哲学の冒険」で次の読む本として紹介してあった「疑似科学と科学の哲学」を読了した。どうだろう、「科学哲学の冒険」から私の知識がどれだけ知識が増えただろうか。本の分量としてあまり変わらないのだし、どちらも概観を書いた本なので、当然と言えば当然なのだが、新しい発見が少なくなって、個人的にはあまり面白いと感じなかった。これは、2冊目だからということだけで、こちらの方が面白くないと言う意味ではないです。 本の最新売り上げランキング - トップ10
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