精神的に弱っているときに読むと、考えさせられます。
いかにも一般的で疑いようのない事実や、温和な表情、同情、やさしさ(押し付けなのであるが)、そういう表現を押し付けられた場合、それに従わないことは難しい。しかし、そういう仮面の下に相手を支配したいという無意識の感情が働いている可能性を考えなければならない。そのように振舞う人は、心のそこに自己への失望や不安感、虚無感を抱えていて、それを自らに対して隠蔽するために、他人の賞賛や、従属を求める。いわば、名誉によってみずからの心のそこにある弱さから目をそむけ挫折を避けるのである。しかし、このような動機によ
って提供された「やさしさ」は非常に押し付けがましいし、心の交流がない。このような押しつけがましいやさしさに支配されてはいけない。 大きな権威(親の場合が多い)が圧倒的に強く、それにしたいし自分は完全に無力な場合(親に対する子供)、親は子供にどのように接したか。毎回、権威を確認させられ、権威に承認されなければ存在を否定されてしまう場合、子供の自我は十分に成長しない。「そのまま」でいることが愛され必要とされているわけではなく、権威に沿う生き方のみが認められているのだから、子供は自分の自我を育てることができず、他人指向の自分の意思のない人間になってしまう。そして、心に空虚感を抱えてしまう。
下克上の引金
進路等で行き詰っていた学生時代に読みました。
私の育った家庭は、親への意見・反抗は許されない雰囲気、育ててやっている、親を粗末にすると世間に笑われるなどと脅される非民主的空気の家庭でした。
この本を見つけ、震えながら一冊読み終え、すぐにその後加藤氏の本を何冊か読み漁りました。その後親(母)へ激しいやりとりをしかけ、激しい抵抗に合いましたが、彼女との精神的な力関係が逆転することになりました。
私にとっての「下克上」でした。
彼女だけの問題とはいえない要素もあるのですが、母だけが被害者のように装い、彼女が、子供だった私の気持ちには本当に何も気にかけてこなかったのだなという事実に行き当たり、むなしい気持ちになりました。
20年近くたった今でも、親への不満、納得いかない気持ちは結局解消いたしません。
親も、何で私が当時怒ったのかおそらく理解できないでしょう。彼女自身の性格、考え方がはぐくまれた家庭環境、時代背景もあるからです。
子供のいる今、反面教師としての生々しい体験をもとに、子供にどう接すべきか考えることが多いです。