もう一度同じ事を繰り返させるつもりなのか・・・。
10巻は、『Zガンダム』におけるヒロイン的存在であったフォウ・ムラサメがメインの作品となっている。フォウの戦死、シャアのダカール演説など、有名なシーンが収録されているので全13巻の中でも見所の多い1枚である。☆は問題なく5つ。『1st』の内容を十分に理解している方は、カミーユではなく、アムロとシャアの視点から物語を捉えることになると思う。フォウとの戦いを拒むカミーユに、「戦いの中で人を救う方法もあるはずだ」とシャアは叫ぶが、そんな方法などあるはずもない。アムロの攻撃から身を挺してシャアを守ったララァのように、ジェリドの攻撃からカミーユを守るためにフォウは命を落とすことになる。アムロ、カミーユ、シャアという優秀なニュータイプが揃っていながら最悪の事態を回避することはできなかった。戦闘では驚異的な戦闘力を発揮するニュータイプも万能ではない。「人は同じ過ちを繰り返す」というアムロの言葉が示すように、戦争を起こす理由に違いがあっても、戦争によって引き起こされる悲劇はどれも似たようなものだ。正しい世界を築くため、自分たちの社会を守るため、より良い未来を開くため、いろいろな理由で人は争うが、そこで行われるのはただの殺人という行為でしかない。戦うことの愚かさ、虚しさが、痛々しいほどに伝わってくる1本であった。
私は、ジェリドの「力があってこそ全てを制するんだ!」という台詞が間違いだとは思わない。何かを制するとき、何かを変えるときに力が必要なのは当然だろう。だが、ティターンズには力しかなかった。ジェリドは力もなく、さらに運もなかった。これでは何も制することなどできない。無理に支配しようとすれば摩擦が生じ、火花が散ることは避けられない。戦争が起こるのも当然といえる。今更ながら、『Zガンダム』のストーリーはよくできてるなぁ~、と感じずにいられない内容だった。
永遠のフォウ
この巻はキリマンジャロ攻略戦に絡めて描かれるカミーユとフォウの永遠の
別れ、ダカールでの作戦がメインになっているが、フォウが死んでしまう
36話はビデオを見た際に本当に泣いてしまったが、DVDを見たときも本当に
泣いてしまった。ファーストのララァが死ぬシーンとシチュエーションが
重なるが、ファーストに対し好感を持てない自分はフォウが死ぬシーンの
方が感情移入できます。37話はダカールの作戦を描くが、ここでシャアが議会で素性を明かすこと
になるが、本名であるキャスバルとは名乗らない。キャスバルと名乗らない
所を見るとシャアはジオンの子であることから逃げているような…
もしこのときにキャスバルと名乗っていたら、歴史だって変わったような
気がするのだが…