何日も残る切なさ
~性同一性障害と言うシリアスなテーマを扱った映画だと思っていたけれど、意外にも切ない恋愛物語であったと思います。その様な障害を持っていようが、持っていまいが、人を愛して、その愛によって、人生が激変してしまう。けれど、その気持ちを貫く強さ。
そんな切なさが、いつまでも胸に残っています。
たとえ、その気持ちが誰かを苦しめ、傷つける事~~になっても、その気持ちをまっすぐに突き進む事の難しさと純粋さは、現代の日本人が失い始めているもののように思います。
自分にとって一番大切なものは何か、それを考えさせられる映画だったように思います。
そして、完璧に男になり切れないちょっとださめな中途半端な男を見事に演じているヒラリースワンクに手放しに感動しました。~
うーーーん、苦しいなあ・・・
たしかに主人公は性同一障害という問題を抱えていたけれど、
映画の中ではそれほどジェンダーの問題にスポットをあてて
いないので、同じ問題を抱えて悩んでいる人がこの映画を観
ても、その答えは見つからないと思います。じゃあ一人の若者の生き方として観た場合、うーん、無謀な
生き方をしている田舎の落ちこぼれ達、という感想しか持た
ないのですよ。田舎の落ちこぼれ者って、日本もアメリカも
行動とか遊び方とか同じなんだな、と思いました。
もちろん出演者達の熱演は、認めますよ。この作品でオスカー
をとったヒラリー・スワンクはすごかったし、ヒロイン役の
クロエ・セヴィニーの主人公を思う気持ちには痛々しさを感
じました。個人的にはこの映画で、クロエのファンになりま
した。
でも映画として見た場合、うーん、何と言えばいいのかな・・・
面白くないわけではないのですが、感動したわけでもなし。
一番印象に残ったのは、閉塞感です。田舎町の息が詰まるよ
うな閉塞感。そこから逃げ出したいけどそれが出来ないイラ
イラ感、結局は居心地のいい仲間同士でかたまっている。そ
こに来た異分子(主人公)に対して敵意を抱き、イライラを
爆発させるかのように事件が起こる。それを環境のせいにす
るつもりはないけれど、舞台となった田舎町の閉塞感は、の
しかかってくるように感じられます。もしかしてこの監督が
一番描きたかったのは、この閉塞感かもしれませんね。観終
わった後、息苦しさが体に残りました。
実話だけに、考えさせられる部分はありました。主人公は生
まれたのがネブラスカではなく、ニューヨークやカリフォル
ニアのような都市部だったら、もっと違う生き方が出来たか
もしれません。
僕は自分でありたかっただけなんだ!!
見終わった後に、言い尽くせないほどの切なさと同時に、ある種の怒りが心を埋め尽くした作品です。
ありのままの自分として、人を愛するという事がいけないことでしょうか?責められるべき事でしょうか??
彼は性同一性障害という問題を抱えてしまったが為に、『自分』として彼女を愛することさえ認めてもらえなかった。
その事実に、涙が出ました。私は、幸福にも心と体の性別が一致しています。
だから、本当の意味では彼の痛みは解ってあげられないのだろうし、もし身近に居る友達にカミングアウトされたとしても、実際どう反応してしまうのかなんて、想像も出来ない・・・もしかしたら、私がこの作品を見て流した涙はただの『キレイゴト』に過ぎないのか知れない・・・・けれど、この作品を見終わったとき、心がスゴク痛かった。涙が止まらなかった。これがフィクションじゃなくノンフィクションであることが、すごく凄く・・・・。
「僕は僕として、ただ彼女を愛したかった!それだけなんだ!!!」そんな叫びが聞こえてくる気がしました。
痛い中にも光が見える
本当に普通の毎日に違いなかった。
ブランドンは、女性でありながら女性としての自分を受け入れられず、男性として振る舞う性同一性障害者。手探りで恋を探している毎日は、楽しくはあるけれど、どこか絵空事に似ていた。そんな中、一人の女性ラナと出会う。彼女は彼女で、自分の虚しい日常にうんざりしていた。恋におちる二人。しかし回り始めた運命の歯車は、きれいには回ってくれず、リアルな現実とぶつかり……。残酷な結末が待ち構えている。
痛いけれど、心に残るノンフィクションです。そして、ラストは少しだけ救いようもありました。