騎馬民族の襲撃(!)
ブルックナーをやってみたい! そう思う指揮者は、星の数ほどいるだろう。
けれども、ブルックナーを演奏してみたい、そう心から思える楽員は、世にどれだけいるだろう?
例えば、ヴァイオリン奏者にしたら・・一体、誰が、あのトレモロで延々と上昇する奏法に好んで付き合いたがるだろう?
ブルックナーを十全に演奏するには、確実に、ある絶対的な「動機」が奏者(指揮者)に要求されるとは言えまいか?第4番(ロマンティック)は、混濁とした音塊から神秘的な開始を告げる「ブルックナー開始」や、
一つの主題が終わると全てが本当に終わってしまう(その後、別のテーマが平然と始まる・・)「ブルックナー休止」や、
有名な2拍+3拍の「ブルックナー・リズム」等々・・様々なブルックナー的特徴をふんだんに散りばめながらも、
その執拗なゼクヴェンツ進行に、ベートーベンの交響曲を思い起こしてハッとさせられる。
19世紀後半の後期ロマン派という時代に、巨大なオーケストラと官能的なハーモニーを駆使しながらも、その奥に、長年オルガン奏者を務めていたが故の真摯な宗教性に裏打ちされた、切れば血が溢れ出るような魂の音楽を前にして、ヨッフムは「ブルックナーの上昇(音階)とは、テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『揺り動く輪』を描きつつ展開する」と主張する。 その様は、まるで騎馬民族の襲撃を目の当たりにしているかのようだ(・・この、跳躍する3連符!)。
見事なまでに鍛え上げられ、ヨッフムの手で一糸乱れぬ統率を成し遂げた録音当時のベルリンフィルのメンバーは、この、途方に暮れるほど地道なクレッシェンド(!)に、ヨーロッパが地続きで、常に他民族との攻防に晒されていた「歴史」を投影していたのだろうか?
4楽章8分辺り・・暗闇の淵から薄明が差すかのような、柔らかで官能的なハーモニーに涙しない者はいないだろう・・。