神はどの様に彼女を使いたかったのか?
監督が初めに付け加えたエピソードは別として、大体史実にそったストーリーで進行している様です。
政治家、教会、大衆、一人のカリスマを持った人間、及びその人間(若しくは神の存在)を信じる人達。
構図は当時から現代まで変わらず、自己保身に走る人間(その集合体である組織)が分かりやすく描かれています。
監督が彼女をどう捉えていたかは色々な側面が見て取れ解釈が難しく、例えば復讐の心を持たせる為のシークエンスを挿入した事は、
彼がそう捉えていたのか、観客がジャンヌに人間的に感情移入しやすくする為か?等が挙げられます。
初めに狂信的な表情をとらせたのは明らかに神の使命を帯びた一個のクリスチャンでは無く、ただ自分の思い込みに依って語ってるかの様に見受けられます。
それも最後の伏線となっているのかも知れませんが。 扨てクリスチャン的には非常に興味深い描写が沢山あり、特に最後に自己の良心的なものとの葛藤に描かれている、
果たして神の使命を自分の行動を正当化する為に使ったのか、悪く言えば欲望をすら神の啓示と云う大儀で覆いかくして
自らに都合の良い様に受け止めてしまいがちな日々の生活を省みる材料として観る事もできます。
キリスト教(他の宗教もそうですが)と云うと、沢山罪が規定されており、それを犯して場合は告解しなければいけない、
と云う縛られた感じのイメージを想起される方も多いですが、実際は冒頭のシークエンスに現れているジャンヌの少女時代の
「喜びに溢れた姿」が本来のクリスチャンの姿と思われます。扨て後に彼女を「聖女」としたバチカンですが、
人が人を裁く事、また聖人であるか否かを決めるなど本当に愚かだと思います。