おばあちゃんの本当
冒頭、おばあちゃんのケーキを長女が横からつまみぐいする。
とてもつっけんどんで、このおばあちゃんは大切にされていないのかなと感じさせる。
遠くに住む長男ばっかりのおばあちゃん。世話をしてあげているのは長女なのに、
髪を洗われてわざと大声で嫌がったりする。
扱いづらい年寄りと、老人の世話にちょっと辟易といった長女。
勉強の邪魔になると煩わしそうなようすの孫娘。その長男が不慮の死を遂げる。
長女と孫娘アダは、手紙を偽造してその死を隠し始める。
このあたり、長女や孫娘が非常におばあちゃんを愛しているのが浮かびあがってくる。
冷たそうな雰囲気の長女も、弟の死を嘆き、母親のおばあちゃんのことを心配する優しい人だった。
ところが、おばあちゃんの本当は違う。
DVDのディスクにもプリントしてある彼女の実にいい表情。
これはまさに彼女の見せなかった姿。
タバコを楽しみ、フランス語に堪能でルソーを読み、行動力もある。
スターリンを敬愛しているが、新世界を認めるリベラルな感性を持っていた。
そして彼女は賢明な判断もできる。
こんなおばあちゃんだったから、孫娘には理解があり、
パリに働きに出て行った息子を愛した。一方、グルジア語しか出来ず、
男嫌いで家も出て行かなかった長女とはうまくいかなかったのかなと思える作品。
秀作です。
3つの“やさしさ”の総和
母子家庭に生きる親子三世代(おばあちゃん、娘、孫娘)の心の交流の物語。 ストーリーはいささか『グッバイ、レーニン』と似てないこともない。 つまり、心臓の悪いおばあさんに息子の死を伝えまいと周りが躍起になって嘘を散りばめるというわけだ。邦題に「やさしい」という言葉を持ってきたのはとても巧い。ソ連からの独立を経てグルジアとして現在にいたるこの国では、その歴史に翻弄され続けた影響により「やさしさ」の定義は世代ごとに大きく異なる。本作はその差異から生み落とされたドラマということができるだろう。
一般的に「やさしさ」と呼ばれるものは、常に強者から弱者に向けて差し伸べられるものと考えられがちだ。つまり「施されるもの」として。共産主義という誘惑から脱した現代であればなおさらのこと多くの人がそう考えることだろう。
映画の中の“三世代の女性たち”はとても大きな愛に包まれている。しかし三者三様にそれぞれの世代の壁を持っていることも確か。そして、この映画で何より気付かされるのは、三世代という家族構成は、更に「二組の母娘」という単位に分けれらるということだ。それぞれの最小単位の中で「やさしさ」とはどのような解釈の決着をつけていくのか。ちょっとした驚きと、泣かされる結末がそこには待っている。
グルジア国民と比べれば生きている生活環境も考え方も違うが、しかし一方で“高齢化社会”という難題を未来から突きつけられている日本人にとって、この映画は実にきもちのいい裏切られ方となって心に染みてくることだろう。
間違っても“ミステリー”ではないが、本作の監督はミス・ディレクションを巧みに感動へと昇華させた。早くも次の作品が楽しみな才能として認識しておきたい。