「おままごと」の果てに・・・
公開当時に観た時はナイーブで左翼思想のなんたるかも知らず、只戦争の悲惨さに涙しただけだったが、大人になり或る国際共産主義者によって左翼思想の恐ろしさに目覚めさせられた今観直すと、これは「子供の視点から見た反戦映画」なのだとはっきり判った。セイタの父が海軍将校であることによって得られていた「特権」の数々に嫉妬しながらも、そのおこぼれに預かって喜んでさえいた処、一転、母を亡くしたセイタとセツコを引き取る羽目になった伯母が、只遊んでいるだけの幼い兄妹に皮肉の一つも言いたくなる気持ちも今では解かる。
天皇陛下ですら毎日雑炊を召し上がっていたというあの一億総困窮の時節に、御国の為に働いていない者が「雑炊はいや、白いご飯が食べたい」などと我儘をいってはならない、という彼女の言い分は(いくら意地悪に聞こえても)正当ではなかろうか。
餓死寸前のセツコが泥饅頭を「おにいちゃん、どうぞ」と弱々しい細りきった手で差し出すとき、私達はその健気さに打たれ、悲惨さに涙する。が、農家のおじいさんがセイタに忠告したように、プライドを捨て伯母さんに謝罪し、少々の厭味などは我慢して世話を受けていれば、或いはセツコは死なずに済んだかもしれない。裕福な家できちんとした躾を受けて育ったセイタは遂に泥棒までするはめになり警察に突き出されて屈辱の涙を流すが、そんな事態も避けられたかもしれないのだ。
母の無残な死に直面しながらも幼い妹に悟らせまいと涙をこらえるだけの根性はまだまだ子供のセイタにもあった。その根性は、しかし「伯母さんの厭味を明るくやり過ごす」とか「食糧自給の為の畑仕事とかを志願して伯母さんに少しでも見直してもらう」とかいう現実的な解決法には向かわず、しっかり者の母が残してくれた貯金を使いつぶしながらのセツコとの無謀な「おままごと」の生活に費やされてしまった。
只、二人が蛍の光と一緒に天国に昇って行ったと信じたい。