ついにメンバーの曲だけになる
1967年5月16・17・24日ニューヨークで録音。ただし『Nothing like you』だけ1962年8月21日の録音でメンバーも当時のメンバーである。なぜ、1:55のこの曲をこのアルバムに入れたのか不可思議である。
特にウェイン・ショーターが加入後、マイルスは徐々に自らの曲を演奏するよりも、メンバーの曲を演奏することを好むようになっていく。これはメンバーの成長を如実に表している事象でもある。簡単にショーター加入後のアルバムを列記してみると、
1966年10月『マイルス・スマイルズ』
1967年5月『ソーサラー』(本作)
1967年6月・7月『ネフェルティティ』→ここで、ジョン・コルトレーン死去
1968年1月・5月『マイルス・イン・ザ・スカイ』
1968年6月・9月『キリマンジャロの娘』
1969年2月『イン・ア・サイレント・ウエイ』
と繋がっていく。
1966年10月『マイルス・スマイルズ』の一つ前、『E.S.P.』では4曲作曲していたマイルスは『マイルス・スマイルズ』では1曲になり、1967年5月『ソーサラー』(本作)と1967年6月・7月『ネフェルティティ』ではついに0となっている。
メンバーの成長によりメンバーの曲を演奏しながら、実はマイルスの奥底には1967年(つまり本作の年)に登場したジミ・ヘンドリックスに強いインパクトを受け、ファンクとエレクトリックへの止めようのない芽が目覚めていたと僕は見る。漆黒の闇のような完璧なこのクインテットのジャズも実はその時作曲してしまえば、そのような気持ちを吐露してしまいそうだからではなかったのではないだろうか?真のミュージシャンは心に目覚めた気持ちを隠し通すことは出来ない。ファンクとエレクトリックへの止めようのない芽はマイルスの中で急速に巨大化していく。そして全てを吐露したのはその2年後だった。