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故郷の香りの解説フォ・ジェンチイ監督が『山の郵便配達』に続き、のどかな村を舞台にピュアな物語を紡ぎだした。故郷を出て、北京で家庭を持ち、10年ぶりに帰郷したジンハーが、幼なじみで初恋の相手だったヌアンと再会。彼女に夫と娘がいることを知った彼は、かつての恋心を甦らせていく。現在と10年前が交互に描かれ、ジンハー、ヌアンそれぞれの秘めた心の内が少しずつ明らかになる過程が繊細に綴られていく。 故郷の香りの商品レビュー 淡い恋の懐かしさが甦ってきた
田んぼのあぜ道と農家の生活。これだけで、懐かしさがこみ上げてくる。加えて、片思いの淡い恋が重なると、現実から逃避行してしまいたい衝動にかられますね。そんな切なさが伝わってくる中国映画です。 情緒的な中に強い思いを感じる傑作。
思いを寄せる人への遠方の異性からの手紙を破り捨てるもう一人の男の行動に、愛情を貫くのに自然な行動であると。疑問を持ちつつも共感できる人も居るのではないか。 心の奥がせつなくなる
予告編を観て、ぜひ観たいと思った映画。香川照之さんがどんな演技をするのかと思ったらセリフがほとんどない! どこをとってもいとおしい映画
回想シーンの中の2人は本当にお似合いのカップルで希望に満ちているのに、 われわれが問われている
映画『故郷の香り』は差別の強化・再生産をもたらす危険性が大いにある映画だと私は思う。みなさんはどう見たのだろうか? 一番ひかかるのはクライマックスシーン。聾唖者(加えてごく軽度の知的障害もあるように見えた)ヤーバが自ら身を引いて妻のヌアン(足が不自由な軽度の障害者)を初恋の男性ジンハー(健常者)に差し出そうとする場面だ。弱者が身を引き、強者に自ら妻を差し出そうとするのである。確かにヤーバがヌアンの気を引きたいがためにジンハーからの手紙を破り捨てるという不正を働き、それをトラウマとして機能させ、最後のヤーバの行為に必然性がある(=差別性はない)ように描いている。今となって身を引こうとするのは、障害者だからではない、自らの過去の不正を清算するために身を引くのだ、と思わせるストーリーとなっている。しかも妻は夫の提案を断った。だから、差別的表現ではなく、それを否定した表現だと思わせている。しかし、どうも腑に落ちない。そこには「夫が聾唖者であるからこそこの行為が美しく見えるはずだ(=聾唖者は特別な存在である)。さらに、妻が泣きながら断ることが感動を呼ぶはずだ」という意図がかなり強くあるのではないか。ヤーバが聾唖者であった意味を問いたい。聾唖者ならではの美談と受け取りうるものがこの映画にあるのではないか? 私たちはこの映画に感動してはいけないのではないか。この映画に感動するということは「障害者のけな気さ」を美談とする第三者的、傍観者的な強者の認識に浸かって、無意識的な差別に加担する立場に立つことになるのではないか。それでも、「表現の自由」が原作者や監督にはあるのだから、どんな映画をつくってもそれは責められるものではない、と言えるだろう。となれば、受け取るわれわれがこの映画をどう観るかが問われているのだ。 DVDの最新売り上げランキング - トップ10
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